ヒノキは昔から日本の文化を支え、その形成に大いに貢献してきた。
「日本書紀」の中に、「スギとクスノキは船に、ヒノキは宮殿に、マキ(槇)は棺にせよ」とあるのは、よく知られている。日本書紀にそう記されてているということはその数千年も前、相当古い時代からヒノキが宮殿建築用として使われて、最適最高の材であることが証明されていたことになる。古代には、次々と遷都させられるのにあわせて、大量のヒノキ材が必要になった。やがてヒノキ材は、琵琶湖周辺や瀬戸内海方面などに求められるようになった。
「ひのき」という和名は「火の木」の意味で、古代にこの木を使って火をおこしたことによるとされている。また、「ヒ」には「良い」という意味があるため、ヒの木と呼ばれたという説もある。高さ40mにもなる常緑高木の針葉樹林。天然では、東北南部(福島県)から屋久島まで分布する。材の色は、淡紅白色。肌ざわりはなめらかで、独特のつやと香りがある。強度にすぐれ、狂いが少なく、耐久性はトップクラスで、軽く柔らかいので活用範囲は広い。肌目が非常に緻密で、均質な材料が必要な用途に適している。心材は特に、耐久性が高く湿気にも強い。古代より、建築材として重用されてきた。現在の住宅でも柱・土台・梁・桁・床・母屋・鴨居・敷居など、さまざまな部分に使用される。また、建具、家具、風呂桶、工芸品、彫刻などにも使用される。
ヒノキの大径木も国内では利用されつくしてしまい、近年の寺社建築に台湾ヒノキが多く使われてきた。しかし、台湾ヒノキは輸出禁止となったため、大径木の入手はますます厳しい状況となっている。
–新建新聞社「檜」より抜粋–